私たちが在学していた当時の那覇高等学校沿革史概要

私たちが在学していた当時の那覇高等学校沿革史概要

昭和43.
1968.12.5. 米国民政府文教部長のゴードン・ワーナー氏など、柔剣道関係者来賓多数を招待し、武道館開きを行う。その後、武道館の落成式典と祝賀会を盛大に挙行する。
昭和44.
1969.1.21. 総合体育舘建設工事の第2期工事と第3期工事が野里組及び現代設備によって竣工する。
1.25. 初代城岳同窓会長小那覇全孝氏(大正5年〜昭和44年: 54年間)が逝去されたので、同月27日に『城岳同窓会葬』を城岳会館ホールで挙行する。
1.末. 昭和44年度入学の国費・自費留学生の全合格者272人中、本校の合格者は111人(40.8%)で昨年に続き好成績を収めた。
3.3. 第22回卒業式を挙行する。卒業生数は男子333人,女子415人、合計748人。
5.17. P T A総会の役員選出で、会長当銘由金氏、副会長新垣良心氏、副会長宮城初子氏の全員が留任する。
6.21. 総合体育館西側道路のブロック塀上の金網工事(770ドル)が丸元建設により竣工する。
7.15. 第1次本土企業募金団:団長宮島長純氏(校長),当銘由金氏(PTA会長),金城英淳氏(募金企画委員長)、幸地良一氏(事務局長)の4氏を関東地区に派遣する。
7.16. 城岳同窓会が臨時理事会を開催し、初代会長小那覇全孝氏の逝去に伴い,後任会長に副会長の仲村隆夫氏(二中7期)が昇任、副会長に石橋好徳氏(二中8期)を選出する。他の役員は全員留任。
10.1. 生盛孫貞教頭が八重山高校長に昇任転出する。後任教頭に西銘活蔵氏が糸満高校教頭より就任する。
10.4. 西部吹奏楽コンクール(福岡大会)で3位に入質する。
10.12. 第2次本土企業募金団:団長仲井真元楷氏(期成会長)、金城英淳氏(募金企画委員長)、伊江朝輝氏(PTA総務部長)を関東・関西地区に派遣する。
10.25. 朝日杯全国英語弁論大会で4位に入賞する。
11.8. 第22回沖縄体育大会で男子1位、男女総合2位に入賞する。
昭和45.
1970.1.25. 家庭科実習室の調理台取り付け工事(琉球政府予算1,590ドル)が完了する。
1.末. 昭和45年度入学の国費・自費留学生の全合格者250人中、本校の合格者は100人(40%)で昨年に続き好成績を収めた。
2.3. 総合体育館建設第5期工事費265,243ドルの政府予算計上について琉球政府行政主席、文教局長、企画局長、総務局長あてに要請する。
2.28. 総合体育館建設第4期工事(琉球政府予算108,904ドル)が野里組と現代設備によって竣工する。
3.3. 第23回卒業式を挙行する。卒業生数は男子306人,女子372人、合計678人。
3.10. 総合体育館建設費の補助金(100,000ドル)の交付について那覇市長、那覇市議会議長、那覇市議会事務局長あてに要請する。
3.15. 変電所増設工事(40kW)が竣工する。
3.31. 宮島長純校長が退職し,後任に真和志高校長の新屋敷文太郎氏が就任する。
4.13. 総合体育舘建設第5期工事費265,243ドル(三・四階体育館工事費184,041ドルと2階プールの残余工事費81,202ドル)を琉球政府予算に一括計上するよう、行政主席、副主席,総務局長、企画局長、文教局長へ要請する。
4.16. 米国民政府へ、上記総合体育館建設第5期工事費265,243ドルを琉球政府予算に一括計上するよう支援して欲しい旨を要請する。
6.5. 総合体育館建設第5期工事費265,243ドルの予算化要請に対し、琉球政府は僅かに40,000ドルを計上する。
6.6. 記念事業期成会建設委員会は琉球政府の財政的現状(40,000ドルしか予算化できない状況)を考慮して、第5期工事を2期に分割し、二階水泳プールの残余工事を第5期工事、三・四階の体育館工事を第6期工事として建築計画を修正し、建設期間を一年延長する案を決定する。また、第5期工事(二階水泳プールの残余工事)の工事費81,202ドルを工事分割の関係から110,000ドルに修正変更し、理事会に報告する。
6.12. 記念事業期成合理事会は、建設委員会の第5期工事分割計画案を了承し、新第5期工事(二階水泳プールの残余工事)の工事費110,000ドル中、不足分の70,000ドルを政府予算40,000ドルに追加計上するよう立法院に要請する。 (7月16日まで繰り返し5回要請する)
7.31. 第5期工事(二階水泳プールの残余工事)の工事費110,000ドル中、政府予算40,000ドルに不足分の70,000ドルを追加計上するよう議会に要請したが、議会では30,000ドルが追加計上され、合計70,000ドルの政府予算が立法院で確定する。 (伊芸徳一議員・二中14期から電話連絡あり)。
8.1. 全国高等学校弁論大会(兵庫県)で當間峯子が優勝し、文部大臣旗を獲得する。
9.16. 記念事業期成合理事会を開催し、第5期工事(二階水泳プールの残余工事)の工事費110,000ドル中、琉球政府予算で70,000ドルが議会で確定したことに伴い、不足分の40,000ドルは期成会が負担し、工事を計画通りに進めることを決定する。
10.2. I棟校舎の二階(図書館:西側2教室)と便所工事(政府予算29,000ドル)が竣工する。
1O.9. 「二中・那覇高創立60周年記念式典」を挙行する。記念行事として校内陸上競技大会を開催する。
10.11. 西部吹奏楽コンクール(鹿児島大会)で1位に入賞する。
1O.15. 武道館西側の擁壁工事(政府予算1,990ドル)が竣工する。
1O.25. 秋季高等学校卓球大会で本校男女チームがアベック優勝する。
11.1. 第17回文部犬臣旗争奪高等学校弁論大会で2位に入賞する。
11.2. 西武合唱コンクール(小倉大会)で1位に入賞する。
11.10. 城岳同窓会の初代会長小那覇全孝氏と2代会長仲村隆夫氏の追悼式を挙行する。
11.18. 日本政府の復帰記念国体調査団へ復帰記念国体の体操主会場に那覇高校体育館を指定するよう要請する。
12.11. 期成会建設委員会は第5期工事(二階水泳プールの残余工事)11O,OOOドルの具体的施工図面を作製し、
12.15. 文教局施設課の承認を得て、建設局設計課に提出し、その審査を経て基本的な了承を得る。記念事業期成会理事会は琉球政府の財政上の厳しさから、立法院で積み上げた分の予算も含めて70,000ドルの建築予算が執行されない可能性があるという見方から、第5期工事(二階水泳プールの残余工事)110,000ドル中、40,000ドルは期成会負担とし、政府予算70,000ドルの早期執行を関係部長に要請する。
昭和46.
1971.1.8. 山中貞則総務長官へ那覇高校体育館建設費を日本政府の国体関係予算に計上するよう文書で要請する。
1.17. 沖縄高体連主催冬季剣道大会で優勝する。
1.28. 創立55周年記念事業第5期工事(一・二階の残余工事)の早期実施(政府予算70,000ドル予算令達)について琉球政府の関係部局長に要請する。(6月まで5回要請する)
1.末. 昭和46年度人学の国費・自費留学生の全合格者227人中、本校合格者は87人(38,3%)で、前年に続き好成績を維持する。
2.12. 青少年科学の日、記念研究論文の部で特賞に2点が入賞する。
3.3. 第24回卒業式を挙行する。卒業生数:男319人、女419人、合計738人。
4.26. 那覇市長へ3月定例議会で可決された二中・那覇高校創立55周年記念事業期成会への補助金(2,500ドル)の早期交付について申請する。
5.15. PTA総会を開催、会長当銘由金氏(再任)、副会長比嘉信光氏(新任)、副会長宮城初子氏(再任)、副会長新屋敷文太郎氏(新任・校長)を選出する。
5.24. 立法院で議員計上した70,OOOドルの政府予算中、行政府の補正予算で18,305ドルが補正減されたので、その復活計上について立法院に陳情する。
6.19. 立法院の伊芸徳一氏(二中14期)より、母校の期成会から復活要求のあった18,305ドルは議会で全額復活計上されたとの電話連絡があった。
7.7. 創立55周年記念事業第5期工事(一・二階の残余工事)を建築は前田組(98,578ドル)、設備は現代設備(14,200ドル)が請け負い着工する。建築費は政府予算が70,O00ドル、期成会予算が42,787ドルで合計112,787ドル。
7.24. 第2次本土優秀体育施設調査団(事務局長幸地良一氏、担当設計士金城功氏)を関東・関西・九州に派遣する。
8.1. 全国高校優賞弁論大会で、岩田悟が総理大臣賞を受賞する(2年連続の快挙)。
8.2. 全国高校囲碁・将棋選手権大会で囲碁が優勝する。
8.12. 創立55周年記念事業の寄付金についての「指定寄付金」の許可通知書が中央教育委員会から届く。
8.15. 校内変電所新設工事を完了する。
12.2. 第1回シンポル像建設委員会を開催し、シンポル像の建設を決定する。像の原型の製作は東京の後藤光行氏(彫刻家)に依頼することを承認する。
昭和47.
1972.1.8. 国体予算の体育館建設費(日本政府予算の上乗せ分)の計上について、山中総務長官を通して日本政府へ強力に働きかけるよう行政主席に要請する。
1.15. 第15回日本学生科学賞で特別賞(文部犬臣賞)と2等賞を受賞する。
1.末. 昭和47年度入学の国費・自費留学生の全合格者200人中、本校合格者は87人(43,5%)の好成績を上げる。
2.1. 第2回シンポル像建設委員会を開催し、シンボル像の原型(後藤光行氏作)の承認、像のテーマーを「青春と創造」とすることを決定する。
3.3. 第25回卒業式を挙行する。卒業生数:男327人、女396人、合計723人。
3.4. 創立55周年記念事業第6期工事(体育館三・四階)の建設(208,600ドル中、政府予算.107,985ドル、期
成会予算100,615ドル)を建築工事(190,500ドル)は丸元建設が、設備工事(18,100ドル)は現代設備が請
け負い着工する。
3.14. 創立55周年記念事業第5期工事(一・二階の残余工事)112,787ドル(期成会42,787ドル)が竣工する。
3.30. 日本体育施設協会事務局長石井紳三氏が本校の体育施設を視察し、建設委員会に「望ましい体育施設の在り方」について指導する。
3.31. 新屋敷文太郎校長が退職、文教局指導部長の池村恵興氏が第7代校長に就任する。
5.15. 日本復帰。本校が「琉球政府立」から「沖縄県立」に所管替えされる。
6.3. 日本政府補助47,670ドルで第6期工事を丸元建設に追加発注する。
6.16. 総合体育館のプール開き式を挙行し、校内水泳大会を開催する。
11.4. 西部合唱コンクール(大分大会)で1位金賞を受賞する。
11.22. 全日本合唱コンクール(名古屋大会)で銅賞を受賞する。
11.25. 同窓会定期総会を開催し、会長石橋好徳氏(二中8期)、副会長瀬長浩氏(二中25期)、同喜久山添采氏(二中9期)、同照屋知廣氏(二中10期)を選出する。
城岳写真が語る88年より
那覇高校25期のページに戻る
inserted by FC2 system